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脱タクシードライバー。そしてフィリピンで経営者になりました。

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人物紹介
2016年02月15日

脱タクシードライバー。そしてフィリピンで経営者になりました。

世間知らずのアホだった

 

大学時代、僕の成績は底辺にあり、留年も二回という輝かしい経歴を誇っていた。

友人から誘われた楽しそうな事には全て応じ、勉強なんてそっちのけ。夢中で遊んでいたのだから当然だ。

 

当時、リーマンショックの煽りを受けて就活戦線は最悪の状況、自分より優秀な人達が数百社も受けてやっともらう内定だと言うのに「行きたい企業にも行けないなら、やってられるか!」とあっさりと五社程の面接で諦めた。

 

結局、そんな自分を正当に評価してくれない社会に対して、ろくでもない世の中だ!クソ!と ”脳内で社会に対する文句を再生” しながら正規ルートから脱落していった。

 

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しかし ”脳内で社会に対する文句を再生” していただけの僕は、嫌な事は全部社会のせいにしては、数ヶ月間ゲーム、DVD鑑賞の繰り返し。いわゆる引きこもりという人種に仲間入りしちゃったんです…

 

職種の条件

 

卒業後も就職を諦めて引き蘢っていた僕は、母親からとんでもなく恐ろしいプレッシャーを感じ始めた。それは「いい加減に就職しろ!プレッシャー」だ。

 

かったるい、と感じながらも仕方なしに職探しを始めるのだが、どうせなら、と条件を決めた。その条件とは車に携わる事。そりゃぁもう、大学時代から車が好きで好きでたまらなかった。

 

何故なら当時、大学進学によって散り散りになった友人と会う為に、自分が出向く側であれば喜ぶし、みんなで遠出をするときにも、運転してあげると、周りの友人はこれまた喜ぶし。

 

そんな友人達の反応に後押しされる形で好きになった車だったが、自分の車を年中いじったり、週末にわざわざ栃木から首都高を流しに行ったりするほどに夢中になれる事になっていた。

 

いくらなんでもその職種はないでしょ?

 

結局、職が見つからないまま一ヶ月程が過ぎてしまった。

 

しかし一枚の求人広告を拾い上げ、「運転手募集」の掲載を見つけた。

 

そう、タクシードライバー!

 

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正確には運転代行の運転手なんですが、馴染みのある言葉に言い換えればタクシードライバーって事です。

 

面白そうと言う理由のみで即、連絡をとると面接もそこそこに採用され、翌日より出勤することになった。

 

自分A「この職種で良いのか?」

自分B「でも車に乗ってお金がもらえるからいいや」

 

という自問自答はあったのだが…

 

さておき、この職場は最高に楽しかった。

 

そこでやっぱり僕は車が大好きだと再確認したが、同時に人生初の大きな挫折感、敗北感を味わう。

 

「俺って大学まで出たのに、他にできる事は一つもなかったのか。なんてちっぽけな人間なんだ」と。

 

周りの友人はみんな就活を終えて、真っ当な仕事に就いていた現実が更に挫折感を大きくしてくれましたよ…

 

好きな事は夢中になれる

 

そもそも運転代行とは、主に飲酒後に自分で運転できる状態でない場合に、自分の車をプロのドライバーが運転代行すると言うサービス。そのサービスでは代行会社の車がお客さんの車を追走して走行距離を測るのだが、入社当時はその追走する側の車両だったので、一般的な普通の運転免許で仕事に臨んでいた。

 

しかし運転と、この仕事が好きだった僕は、一ヶ月もしないうちに二種免許(タクシーを運転できる免許)を取得して、お客さんの車を運転するドライバーに転身する事を決意!!

 

栃木県民の認知度も低い「若年求職者バウチャー制度」という県の助成金制度を利用し、二週間程で取得!助成金のおかげで自己負担も抑えられた!そして、晴れて客車のドライバーに昇格したってわけだ!

 

昇格後には、更にのめり込む様になっていった。

 

お客さんと話しながら、いろいろな車を運転をする仕事。まるでドライブ感覚!!

 

こんな楽しい事をしているのに、給料が貰えると言う事に幸せを感じていたし、今まで馴染みのなかった夜の世界に軽く触れる事で新鮮さもあった。酔った勢いで僕の頭を殴ってくる様な客と呼べない様な人もいたけど、同じく酔った勢いで夜の蝶が僕の連絡先を聞いてくる様な面白い場面もあった。今思えば非日常的な事の連続で、刺激的な毎日だったなぁ。

 

そんな天職にありついた僕は、水を得た魚の如く、イキイキと仕事に取り組んでいた。

 

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・社長に頼まれもしていないのに居酒屋等へ営業周り。

・常連客に指名してもらう様にお願い。

・一度送った人の帰る場所は必ず記憶。

・市内の道路事情を把握し、効率を上げる。

 

 

こんな感じで接客サービスと言う分野にのめり込み、お客さんと信頼関係を築く事を第一に考えていたからリピート指名が毎日入り、出勤したドライバーの中でトップクラスのセールスを誇るドライバーにいつの間にか、なっていた。

 

お客さんからの、心に突き刺さる言葉の数々

 

そんな「天職」に没頭していたが、信頼関係を築いたからこそお客さん達からはいろいろと言われた。

 

会計士のお客さんには「君はなんでこんな仕事してるの?これだけ極められるなら他の職を選ぶ能力はあると思うよ?」

 

事業主のお客さんには「家計苦しいのか?副業でやってるんだよな?お前ぐらいの奴の事だから昼はバリバリ仕事してるんだろう?」

 

そんな事を言われて「どうすれば良いのかわかっていれば、とっくに辞めてるよ」と凄く悔しい思いをした。結局は、自分に天職だと思い込ませて、現実から目を逸らせていただけだったのだ。

 

反面「ああ、俺ってこのフィールドで終わるには勿体ない素材なんだな」と視野を広げてくれたのも事実なのだけど。

 

そしてどんどんと葛藤は大きくなっていき、最終的にはまた挫折感を味わう。

 

「大学をなんとか卒業したのにも関わらず非正規雇用のタクシードライバーを続けていていいモノなのか?」こうは思いながらも、一向に答えは見つからないまま、時間を無駄にしてしまった。本当、もったいなかった…

 

フィリピン移住

 

そんな葛藤を押し殺しながらも、職場を楽しんでいた僕に一つの提案が舞い込む。

 

当時、フィリピンに単身赴任していた父から「どうせなら、仕事辞めてこっちで英語でも勉強したらどうだ?」と言う。

 

え?マジで?凄く面白そうだと思ったので即決し、二つ返事で「YES」!!

 

現状に疑問を抱いていたので、とりあえずフィリピンにいる父の元へと飛び立った。英語学校にて生徒として在籍した期間は最高に楽しくて、まるで大学をやり直している様な感覚だった。学友達に誘われては遊び、学校へ行く、の繰り返し。サービス業を曲がりなりにも極めたつもりになっていた僕は、その学校の運営側に対して「最低レベル」だなぁ、と思う所はあった。だけどそんな事も気にならない程に異文化コミュニケーションは最高に面白かったんですよ。

 

フィリピンで就職活動

 

英語学校での半年間で日常会話はそつなくこなせるレベルぐらいまで英語力が上がり、そろそろ学生としての時間が終わろうとしていた。

 

このとき、ハナから職探しを日本でやるよりもフィリピンの方が面白そうだと思って、日本での職探しはしていなかった。そうこうしているとその学校でインターンの募集が始まり、またしても面白いと言う理由だけで即決、インターンに応募、採用となった。いつも面接はそこそこに…

 

サービスに対する思い入れ

 

ここでのインターンは一言で言えば「最悪」だった。

 

そもそもフィリピンの語学学校は韓国系の学校が多く、私の勤めた先ももれなく韓国系。韓国系とはいえ、日本の市場をメインターゲットとしているので日本人の正社員もいたのだが、この正社員達はいつも日本にいるので現場に関与する事は皆無。韓国人の現場責任者がいて、その下に実動部隊のインターンがいるのだが、日本人のお客さんに提供するサービスを韓国式で運営しているのだから合うはずが無いってわけだ。

 

食事は毎日キムチが付いてくるとか、韓国人のお客さんに対してだけ手厚く歓迎したりとか…

 

こんな現状に絶望するまでに時間はかからなかった。

 

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そして時折、他のインターン生達と運営サイドに関する愚痴を言い合い、愚痴を言う度に温度差を感じる。ここで初めて自分が人一倍 “サービスに対する思い入れ” が強い事に気付いたのだけど、他の日本人インターンの無関心さに絶望したのが忘れられない。

 

無力さAGAIN

 

一応、接客経験もあった僕は、お客さん本位で仕事に取り組んでいたのだが韓国人上司はそれに文句ばかり。

 

その文句に真っ向から理論武装をして挑んでも怒鳴られては終わりの繰り返し。

 

更に日本サイドの社員は、現場の仕事に欠かせない顧客情報で誤入力が週一回はある程のポンコツだった。まさに四面楚歌…

 

最後はクビだって覚悟していたので何も怖くない。

 

そして顧客サービスの質の悪さに我慢できなくなった僕は、大きな打ち上げ花火をあげてやろうと決断し、韓国人上司に思った事を全て直訴!更には日本サイドの社員に誤入力のあったデータを全て送りつけ、あっけなくクビ!

 

夜中の22:00PMに寮を追い出されましたとさ…

 

ハデにクビになってスッキリはしたが、モヤモヤする。

 

なんでだろう?

 

結果として何も変えられなかった自分に「ああ、やっぱりまだまだちっぽけな人間なんだ」と気付いて、またまた敗北感と挫折を味わった。

 

経営者になり、変化した事

 

捨てる神あれば拾う神あり。

 

路頭に迷い就活をしている時、インターン時代に学生として来ていた人からフィリピン英語学校設立の相談を受けた(今の会社のオーナーさん)。

 

その相談を聞いていると、経営実権を握る社長をやらないかと言うオファーが来る。

 

ここでは熟考した。もちろん、最後には「YES」なのだが簡単に即決はできなかった。経営なんてできるのか?と言う少々の不安もあったのだろう。

 

しかしやってみれば、この経営ってのが面白い!

 

資金のやりくり、従業員の教育をしながら自分の一存で自分の好きなカラーに染めていけるんだから。やっと自分の思っていたサービスのあり方をこの会社で表現して行けると思ったら、どんなに苦しくても我慢できる!

 

実際、資金難、人間関係の調整等の表面的な苦しさは前より増えたけど、自分の内面にあった葛藤は全て消え去った。

 

今やつらい事もあるのに、給料無しでも我慢できると思えてしまうぐらいに楽しいのだから不思議なもんだ。

 

誰が何と言おうと「自分の面白いと思う道に突き進む」事が、人生を楽しむ最良の方法だと気が付いた。面白い道を自分で探せる人はそれで良い。しかし僕みたいな人間は周りに信頼できる人がいて、その人の提案であればとことん流されてみれば良い

 

僕は友人やドライバー時代のお客さん、父親や現会社のオーナーに流されてここまで来た。それが僕の信条だ。

 

素直に人の言う事を聞くのは意外に難しい、でもいろいろな人と触れる、異文化に触れる事で、段々とできる様になってくる。

 

そして挫折を味わう事を恐れずに突き進めば、挫折の向こうにまた新しい世界が広がっているんだ!!

 

 

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